2020年1月からJLPGA(日本女子プロゴルフツアー)の会員となった92期生は21人。
その中で、4年越しの労苦が実り合格『とてもうれしい。やっと合格できました。ツアー優勝をめざしてがんばりたい』と抱負を語るのは、日本生まれの中国人美女ゴルファー「セキユウティン」選手。
171cmという抜群のスタイルと色白で愛らしい笑顔で、好成績が続けばバズること間違いなしのかわいさです。
そんなセキユウティンちゃんのジュニア時代の生い立ちを中心に、画像や動画を中国のSNSからたくさん集めてみました!
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セキユウティンの幼少期
ご両親は北京市出身で1990年代から日本で仕事をしており、セキユウティンは1998年3月5日に福井県で生まれました。
ちなみに妹のユウリも同じ3月5日が誕生日で、4年後の2002年に生まれています。
ユウティンが5歳のとき、父親が会社から上海駐在を命じられ、一家で上海に移り住みます。
日系企業に勤めていた父親は、仕事の接待ゴルフで迷惑をかけないように頻繁にゴルフの練習場に通っていました。
父が勤めた日系企業「三洋化成」とスポンサー契約を結んでいます
父親はユウティンをゴルフ場に連れて行ったのですが、ただ見ているだけでは面白くなさそうだったので、ユウティンにコーチをつけて練習させました。
2005年夏当時、ユウティンの父親は、彼女を将来プロゴルファーにさせるなどまったく考えず、ピアノや絵画など趣味のお稽古と同じ感覚でゴルフの練習をさせていたと語っています。
セキユウティンはじめての試合
2006年、ユウティンのゴルフが上達したと感じた父親は、深センで開催された「張連偉カップ」(張連偉は中国初のプロゴルファー)に参加させてみました。
中国全土のジュニアゴルファーが集まる大会で、最年少のカテゴリーで3位という好成績を残せるとは思っていませんでした。
セキユウティン ゴルフ訓練学校入学
2007年9月、ユウティンの両親は、彼女を黄山青少年ゴルフ訓練学校に通わせることに決めました。
母親とユウティンはふたりで黄山に行き、妹のユウリと父親は上海で離れ離れの生活をしていましたが、徐々に父親の仕事が忙しくなってユウリの面倒を見れなくなり、また二人の子供を一緒に成長させた方が良いと感じた両親は、1年後にユウリも同じ黄山のゴルフ訓練学校に通わせることにしました。
黄山青少年ゴルフ訓練センターでユウティンのゴルフは目覚しく進歩しました。
一方で、当時の黄山の教育の質は上海に比べものにならないほどの低レベルであり、妹も小学校に入学したばかりであったため、父親はゴルフを優先させるべきか学業を重視するべきか非常に悩みました。
ユウティンとユウリに、黄山でゴルフ漬けの生活をさせるか、上海でゴルフと学業の両立をさせるか悩んだ挙句、ゴルフの戦略に学業も大切だという判断で、両親は二人の子供を上海に連れて帰る決断をしました。
セキユウティンのメンタル強化
小さい頃のユウティンは試合で結果が出ないとすぐに泣いていましたが、現在では表情には出さないようになりました。
参加したツアーで結果が出なくても、笑顔でインタビューを受け「結果の良し悪しはどちらでも最高の贈り物です」と礼儀正しく感謝の言葉を言うようになりました。
ゴルフはユウティンの自分自身で考える力を鍛えました。
ある日、ユウティンがジュニアの大会に参加したとき、ゴルフ場に着くのが遅くなり練習ラウンドのプレイができないことがありました。
大会当日の早朝、コースを下見しながら自分で攻略を考えノートにメモしていました。
ユウティンの生活は普通の小学生の数倍の忙しさでした。
平日は午後4時に下校すると母親が迎えに来て、今日5時に練習場に到着し2〜3時間の練習を行った後、家に帰って夕飯後に宿題をし、週末は休むことなく終日練習するという日々でした。
ゴルフの大会で地方遠征するときは学校を休む必要があったのですが、通っていた復旦万科実験学校の先生方の協力で、遠征から戻った後に補修を受けることができました。
小学生時代のユウティンは非常にまじめで、どこに遠征に行く場合も教科書を持参し自習し、わからない箇所は母親に聞いて理解しました。
学校に行く時間は短くてもユウティンのクラスでの成績は常にトップ3だったそうです。
セキユウティン日本ジュニア大会参加
2009年、父親はユウティンを連れて日本の小学生大会に参加させ、関西地区大会で2位に、全国大会で9位になりました。
この大会に参加したユウティンの印象に残ったのが、ゴルフの成績よりも、日本の選手たちの自己管理能力でした。
試合後、日本の子供たちは自分でゴルフバックやユニフォームを片付けている姿を見て、自分も成長しなきゃと感じたそうです。
セキユウティン母親の献身的な愛情
成長期のユウティンとユウリの面倒を見るため、一番の犠牲を払っていたのは母親でした。
姉妹ではじめて参加した中信对抗ゴルフという大会では、母は妹ユウリのキャディーを務めながら、二人の身の回りの世話をし忙しくててんてこまいになっていました。
当時、新聞記者が母親にインタビューを依頼しようとしたら、ユウリのゴルフバッグを片付けながら母親は、記者に子供を父親のところに連れて行ってとお願いしたというエピソードがあるほど忙しかったようです。
妹のユウリもプロゴルファー
ユウティンには4歳年下の妹「石昱莉 ( セキ・ユウリ )」がいます。
ユウティンのキャディをしていた時話題になりました。
セキユウティンが尊敬する女子プロは
ユウティンは、最も尊敬する女子プロゴルファーのひとりとして宮里藍の名前を挙げています。
理由は、身長も高くないのに、ものすごく努力して絶対諦めない姿勢だそうです。
ユウティンはシンガポールの試合で初めて憧れの宮里藍とラウンドした際に日本語で交流をして、試合当日がユウティンの誕生日だと知った宮里から「ハッピーバースデー」と書かれたゴルフボールをプレゼントされたそうです。
中国代表として世界の大会に参加するようになったユウティンは、将来LPGA(全米女子プロゴルフ協会)のメンバーになり、宮里藍のように優勝することを目標な明確にあげています。
セキユウティンの戦歴
アマチュア時代からプロの試合にも出場しており、2014年にプロ転向しました。
2012年 | CLPGA 重慶チャレンジ 2位 |
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2013年 | CLPGA 上海クラシック 2位タイ |
2014年 | 米国LPGA Reignwood LPGA Classic 14位タイ(中国人最上位) |
2015年 | TLPGAオープン(台湾女子プロゴルフ協会) 2位 |
2016年 | CLPGAツアー 珠海クラシック 優勝 |
2016年 | CLPGA賞金女王 |
2016年 | LPGAファイナルクォリファイングトーナメント 16位 |
2017年 | CLPGAツアー 乐卡克北京女子精英赛(ルコック北京) 優勝 |
2017年 | LPGAサードクォリファイングトーナメント 51位(QTランキング116位) |
2018年 | LPGAマンシングウェアレディース東海クラシック 15位タイ |
2018年 | LPGAファイナルクォリファイングトーナメント 81位 |
2019年 | LPGAステップ・アップ・ツアー『日医工女子オープン』 優勝 |
2020年 | LPGAの会員となりミツウロコグループホールディングスと所属契約 |
セキユウティンのSNS
セキユウティンの公式SNSを確認してみたところ、「Instagram」のほか、中国向けで「微博」「抖音」「小紅書」が見つかりました。
Instagram:@shi_yuting35
微博:婷婷昱莉
抖音:石昱婷Tingting
小紅書:石昱婷Tingting~
現時点で一番更新頻度が高いのは微博でした。